堺市立五箇荘小学校
〒591-8005 大阪府堺市北区新堀町2丁目58
1.長尾街道
古代には「大津道」江戸時代には「大和街道」と言われ、堺と奈良とを結ぶ街道として使われていました。昔は大小路筋とつながっていましたが、現在は堺の方違神社の前を通り、松原から大和へというルートを通っています。
2.地名「五箇荘」
歴史は古く条里制が敷かれた頃には開けていたようです。平安時代~鎌倉時代には、荘園が堺でも増え、当時は5つの荘園があったことから「五箇荘」の地名が生まれたといわれています。室町時代には鋳物師や鍛冶屋の集団が五箇荘に集まり、「五箇荘の金屋」として有名になりました。この「五箇荘の金屋」の元締めとして活躍したのが今井宗久で、後に堺の豪商になり、織田信長の茶頭としても活躍しています。
3.華表神社:宮本町
北花田郷七村総社で、中世には七坊がありましたが、織田信長により供料300石が没収されて衰え、明治の神仏分離で廃絶しました。本殿は17世紀後半の建物で、石の鳥居には 「元禄十六年」の銘が刻まれています。
聖武天皇の勅願によって行基が建立したと伝えられています。かつては池浦観音寺とよばれていました。戦国時代に荒れはてましたが、江戸時代に再興されました。本堂は1652年に建築された観音堂です。また、寺内には、石橋が残されていますが、これは、愛染院の周囲にめぐらされていた濠に架けられていました。「元禄4年」の銘が刻まれています。
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