堺市立中百舌鳥小学校
〒591-8023 大阪府堺市北区中百舌鳥町6丁目1033-2
1.西高野街道
平安時代後期から鎌倉時代の初め頃にかけて、高野参詣道として使われていました。また、室町時代頃から商港堺と高野山との物資の輸送に使われ賑っていました。大阪狭山市の岩室で、下高野街道に合流されています。中百舌鳥小校区を貫いています。
2.筒井家住宅:中百舌鳥町
戦国大名の筒井順慶の後裔と伝わる家で、織田信長の時代に堺に住んで木地屋庄右衛門と称し、百舌鳥地域の新田開発に関わったとされています。なお、家屋は明治16年の建築で、山林などを合わせて5千坪を有しています。現在、居宅は使用中ですので、内部は非公開です。また、この住宅の屋敷林に御廟表塚古墳があります。
3.御廟表塚古墳:中百舌鳥町
前方部を西に向けた帆立貝形の前方後円墳です。5世紀後半に造られたようですが、宅地開発などで周濠の大半は埋立てられ、前方部はなくなっています。墳丘は全長84.8m、後円部径67.6m、高さ約8mで、後円部は2段に分かれています。平成26年に国の史跡指定を受けています。
4.尼塚古墳跡:中百舌鳥町
後円部の径約45mの帆立貝形の前方後円墳でした。百舌鳥古墳群の一角を占めていましたが、宅地造成などで消滅し、現在は後円部の形状が道で残されています。
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