八上小校区の史跡

 

堺市立八上小学校

〒587-0063 大阪府堺市美原区大饗117-1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.地名「八上」

 8世紀の初めごろに、丹比郡が丹南郡と丹北郡に分割されました。平安時代後期には丹北郡から八上郡が分立しました。「八上」とは、因幡の武士の波多野氏の関連に基づいて付けられています。因幡出身の人たちが故郷を懐かしんでつけられたようです。現在は「八上小学校」名として残されています。



2.地名「大饗おわい

 765年に称徳天皇が紀伊国に行幸されて帰り道に、河内国丹比郡に着き、そこで饗宴になったので、この「大饗」の地名が生まれました。

 

 

3.城岸寺城址:大饗

 南北朝時代に、楠木一族であった和田和泉守が濠を周囲にめぐらした地に城を築いたのが始まりです。元享年間(1320年代前半)に法明上人が河内の国をまわっていた時に病気平癒のために城岸寺を建立しました。

 

 

 

 

 

 

 

4.平松寺へいしょうじ:小寺

 創建の年代は不明ですが、古い記録によると、白河、鳥羽、後鳥羽三上皇の勅願により建立したと伝えられています。ま た、長和年間(1011~1015)に天皇の眼病平癒を願って長和寺ちょうなじが創建されており、これが平松寺の前身ではないかと考えられています。ここには半丈六の薬師如来坐像が安置され「やくしさん」と親しまれています。



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