前回の西本願寺堺別院から少し南に歩いて行きましょう。
阪堺電車「妙国寺前」停りゅう所から東へ行くと、日蓮宗の「妙国寺」があります。このお寺には、大きな蘇鉄の木があります。この木は今から四百三十年ほど前に織田信長が安土城を建てたときに、めずらしいものが好きな信長がこの蘇鉄をとても気に入り、安土城に移しています。
しかしある夜、城のどこからか、なき声とともに「堺へ帰ろう、堺へ帰ろう」という声が聞こえてきます。だれの声かとふしぎがった家来が調べてみますと、堺から移した蘇鉄ではありませんか。家来は、このことを信長にうったえますと、信長は「そんな木はすぐに切りたおしてしまえ」と命じました。家来は、切りたおそうと刃物を入れますと、何と蘇鉄のみきから真っ赤な血が流れ出しました。気味が悪くなったのか信長は、この蘇鉄をもとの堺の妙国寺にもどしたということです。
この話は、「堺音頭」の二番で
「こいし なつかし 蘇鉄でさえも
泣いて帰ろと ないて帰ろと いう堺」
と歌われているほど、かつての堺市民にはとても親しまれたお話なのです。
この蘇鉄は、ふたたび堺にもどされてからは、この地で現在まで育ってきています。でも、現在までに大坂夏の陣での堺の焼き打ちや、第二次世界大戦での堺大空しゅうなど、二度の危機をくぐってきており、本堂は焼けてしまいましたが、この蘇鉄だけはその火事にもまけずに現在まで残っています。
このお寺に行くと、しき地は戦前よりも小さくなりましたが、本堂の前にしっかりと育っている蘇鉄を目にされることでしょう。
なお大正13年にこの蘇鉄は天然記念物に指定されています。先にみきから赤い血が流れたと書きましたが、酸化鉄だろうということです。