21 船待ふなまち神社じんじゃ

 前回の居川いがわからさらに紀州きしゅう街道かいどうを南へ歩いていきましょう。少林寺しょうりんじばしをこえてはんかい電車でんしゃから西側に分かれていきます。石だたみがしいてあり、紀州街道がつづいていることがわかります。少し南に歩くと、左側に船待神社が見えてきます。

船待神社:拝殿

 この神社は、もともと菅原すがわらの神さまであったあめのほひのみことをまつっていた塩穴天しおあなてん神社じんじゃでした。場所ばしょはもう少し東にあったといわれています。901年に、菅原道真すがわらみちざね九州きゅうしゅう太宰府だざいふにおいやられたときに、ふねつ間、このあめのほひのみことをまつっているこの神社をおまいりして、松の木をえたそうです。

 長保3(1002)年、道真の子孫しそん菅原すがわらためのりがこの土地にきて、道真ののこしたものをいろいろしらべ、この神社に道真もおまつりをして「船待神社」という名前をつけたといわれています。道真が船を待っていたからです。

 かん年間(1087~1094年)に現在の場所に地元じもとの人たちが神社をて、この村の氏神うじがみとしました。これが現在げんざいある船待神社です。

船待神社:菅原公腰掛石

 昭和しょうわ4040(1965)年ごろには、道真がえたといわれていた松の木がれてきたのでとりのぞいたところ、その下から石が見つかりました。道真が休んだときにすわった石ではないかということで、「かんこういし」として、境内けいだいぞんされています。まるでいすのような形をしており、道真だけでなくても土地の人たちが、この石にはすわっていたかもしれません。

 また、この石のそばには、大正たいしょう9(1920)年にこの湊町と堺市とが合併がっぺいしたことを記念して建てられた「みなとちょう堺市さかいし合併がっぺいねん」もあります。このことからも、この神社が、この地域の大事な神社であったことがわかるでしょう。

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