登美丘東小校区の史跡


堺市立登美丘東小学校

〒599-8122    大阪府堺市東区丈六224

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.旧町名「登美丘

 1950年に野田村と大草村が合併し、登美丘町となりました。その名前は、合併の際に新しい町名を募集したときに木村亀次氏の「登美丘町」が当選し、そのまま町名となりました。この地域は元禄時代から新田開発が行われ、丘陵地の景色のいいところで、この丘に登ると眺めも心も美しくなるとの思いから付けられました。

 1962年に、登美丘町が堺市に編入合併されたことで、その名前は消え、登美丘東、登美丘西、登美丘南の3小学校、登美丘中学校、登美丘高等学校及び、登美丘東幼稚園に残されるだけになりました。今なら「登美丘区」になっているところかもしれません。

2.地名「丈六」

 僧行基は、日置荘大野の芝に寺を建立し、丈六の釈迦牟尼仏を本尊としたので、丈六寺と呼ばれました。この寺は正平年間(1346~1370)の兵乱で焼失しましたが、丈六村の地名としてその名は残されています。

 

 


3.釋迦院:丈六

 行基が大野に丈六寺を建立しましたが、兵乱で焼失した後に残されたものが、この寺のみでした。不動明王を本尊としており、本堂は、明治26年に新築されています。

 

 


4.淨教寺:丈六

 もとは、丈六寺の支院で、行基が建立したとされています。南北朝の頃、南朝のために兵火で焼失しましたが、楠木正成の家臣の吉田兵庫守の孫の吉田彦六が、この寺地に来て旧跡を開かれました。1680年に本願寺良如上人より「淨教寺」という寺号をたまわっています。



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