浜寺石津小校区の史跡

 

堺市立浜寺石津小学校

〒592-8334 大阪府堺市西区浜寺石津町中2丁3−28


 

 

 

 

 

 






1.紀州街道

童謡「まりと殿様」でも歌われている紀州の殿様(紀州徳川家)の参勤交代に使われる道です。参勤交代のために江戸時代始め頃に整備された道だと考えられています。この街道に沿って街並みが広がりました。

 

 

2.石津いわつ神社:浜寺石津町中

毎年12月14日に、この境内で「やっさい ほっさい」という大とんどの神事が行われています。

昔、蛭子の命(ひるこのみこと)が船で流されてこの石津の浜に流れ着きました。若者たちが、108のわら束を積んで焚き火にし、蛭子の命の体を温めました。それを今に伝えるべく、大とんどの神事が行われています。108束の薪を積んで火をつけて、エビス神の姿をした人を二人の青年が担いで火の上を3度わたるのです。その時の掛け声が「やっさいほっさい」というのです。

3.五色の石:浜寺石津町中

「2」の蛭子の命が船で流された時に、船に「五色の石」も乗せられていました。その石を埋めたところに本殿を建てて蛭子の命を祀ったのが石津太神社です。現在は、紀州街道をはさんで西側に神社が、左側に五色の石の碑が置かれています。

この石が湊の側に置かれたので、この地を「石津」と呼んでいます。

4.石津川

現在は大阪府が管理する二級河川です。上流は泉北丘陵で、堺市内を形作っている川といってもいいでしょう。中流域の毛穴付近では晒し・注染が行われており、また、古くから蛇行をして氾濫を繰り返してきた暴れ川でした。現在は、河川の改修で暴れることもなくなっています。

5.石津太神社御旅所:浜寺石津町西

「2」「3」で書いた蛭子の命の乗っていた船が流れ着いた 場所に、石津太神社の御旅所が設けられています。石津川の北岸にあります。

 

 

6.風車の跡

これは、大正時代の終わり頃育てられていた軟弱野菜に水を十分に与えるためにと考えられたものです。もともと水の非常に少ない地域なので、井戸水を何度も汲んで畑に潅水するのが大変な作業でした。少しでもこの作業を楽にするために、海風を利用して井戸水を汲み上げて水を貯めて、底抜け担桶で水を汲んで畑に潅水するようになりました。一時は300基もの風車が林立していました。

 

※1962年の林立する石津の風車

7.太陽橋:浜寺石津町

紀州の殿様が参勤交代で江戸へ向かう途中、この橋を渡っていました。その時、東の空に真っ赤な太陽が昇り始め、それがあまりにも美しかったので、お殿様が太陽が拝める橋だと言われました。そこで「太陽橋」と呼ぶようになったのです。

戦前の太陽橋

 

*****************************************
土肥 俊夫考案の社会科指導計画例 クリックして各計画をご覧ください