八田荘小校区の史跡

 

堺市立八田荘小学校

〒599-8267 大阪府堺市中区八田寺町231

 

 

 

 

 

 

 

 

 


1.けい林寺りんじ八田はんだい

 僧行基の母方の蜂田連氏が氏寺として建てたお寺で、蜂田寺とも呼ばれていました。母方の蜂田氏は、大陸からの渡来人で、行基の父は、やはり渡来人の高志こし氏という現在の高石市の豪族の一族の出身です。行基が39歳のときに母を供養するために華林寺を再興しています。大坂冬の陣で焼失していますが、僧広恵によって1679年に建てなおされています。


2.蜂田神社(お鈴の宮):八田寺町

 蜂田連の祖先の天児屋根命をまつっています。「お鈴の宮」として親しまれていますが、それは、蜂田連が土の鈴12個を春の初めに神様にお供えをして、その音色の善し悪しで1年を占ったという言い伝えによるものです。それにちなんで、現在でも節分の時に境内の土を使って12個の鈴をつくり「鈴占い神事」が行われています。


       ※1949年:蜂田神社参道
3.地名「毛穴けな

 このあたりは地場産業の晒で有名ですが、稲を表す「毛」と、その貯蔵庫の穴蔵が多くあったため、「毛穴」となったようです。

4.地名「八田荘」

 行基の母親は蜂田古爾比売で、この蜂田連という一族の先祖を祀っているのが蜂田神社(お鈴の宮)で、行基が建てた八田寺も蜂田神社の近くにあります。この辺りが荘園になった時、蜂田の荘園つまり「八田の荘園」と言われたことから「八田荘」となりました。現在は、八田荘小学校、八田荘中学校、八田荘幼稚園にその名を残しています。

 

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