宮山台小校区の史跡

 

堺市立宮山台小学校

〒590-0101   大阪府堺市南区宮山台2丁目2-1


 

 

 

 

 

 

 

 

 

1.多治速比売たじはやひめ神社:宮山台

 530年頃に建てられたと伝えられています。祀られている「多治速比売命」は女性の神様で、日本武尊の妻である弟橘媛おとたちばなひめともいわれています。本殿は、天文年間に再建されたもので、向拝には蟇股と呼ばれる組物が付けられており、龍、雲、波、ボタン、唐獅子などの彫り物があり、向拝の支えの木には芭蕉にカマキリのめずらしい彫り物がされており、国の重要文化財に指定されています。

2.「鈴木貫太郎」玉垣(多治速比売神社)

 上の神社の玉垣に「鈴木貫太郎」という名前が彫られていますが、この人は第二次世界大戦の終結をされた時の総理大臣です。久世氏の代官をしていた鈴木氏の息子で、2・26事件の時には侍従長をされていて、青年将校に銃撃されますが、奇跡に命は助かっています。

 

 


3.高蔵寺73号窯跡:宮山台

 泉北ニュータウンの地域は、わが国で最大の須恵器の生産地でした。写真のような登り窯が1000基もあり、この地域から各地に運ばれていったのです。また、古墳時代~平安時代までのすべての時代の須恵器がつくられており、このあたりで生産された須恵器が、全国の須恵器の標本の役割も果たしています。

 

※1966年の宮山台造成

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