野田小校区の史跡

堺市立野田小学校

〒599-8123    大阪府堺市東区北野田897-2

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 


1.野田城址:南野田

 1326年に、楠木正成方の武将の野田四郎正勝により築城されたお城です。幕府の大軍が正成を攻めようとしましたが、幕府の大軍を食い止めようと、一夜の内に白い紙を貼って小さな城を大きな白壁の城に見せかけ、幟もたくさん立てました。ようやく幕府が攻めてきた時には誰もいませんでした。

 

※1954年頃の、栄橋から見た野田城址

2.大悲庵跡:南野田

 野田四郎正勝も子も戦死をしました。孫の正康は、野田城にこもって北朝方と戦いました。1356年にうって出ましたが戦死をしました。城にこもっていた村人たちは、子どもにいたるまで皆殺しになりました。その人たちを弔うために、城内に大悲庵を建てましたが、その後、泣き叫ぶ声やうめき声が聞こえ続けたということです。

 

3.地名「野田」

 古事記に「多治比野」とある堺市東部から美原区、羽曳野市にまたがる広い原野を表す「野」に由来すると考えられています。

 

 

 

4.御霊神社跡:北野田

 高さ2mほどの鳥居の内に小さな祠がありました。ここは、村人たちが「南御霊」と呼び、その前に据えられていたおゆがまに「口宮」と刻まれていました。「奥」に対する「口」で、奥宮であった菅生神社の慈児神であったようです。この神社は北野田の氏神で、天照大神が祀られており、その鼎釜は、神社が菅生神社に合祀される前の神の什器物であったのだろうと推測されています。また、南野田にもこのような神社があったようです。

 



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