堺市立南八下小学校
〒599-8103 大阪府堺市東区菩提町5丁目228
1.条里制遺構:石原町
上の地図で「条里制遺構」と書かれているところ一帯です。写真では見にくいですが、中央下部にある池のあたりから上の中央環状線あたりまでに見られます。奈良時代の律令制では、国から与えられた田に基づいて税(租)を徴収することになっていました。そのために田を1町(109m)四方の正方形を基本単位として広さを決めていました。これが条里制です。
この寺には写真の「牛頭天王坐像」が祀られています。もとは隣接する八坂神社のものだったのですが、明治の神仏分離で中仙寺に移されたようです。牛頭天王は、インドの祇園精舎の守護神で、日本ではスサノオの命に習合されて病気や災いを除く神として信仰されています。平安時代後期の作と考えられています。
3.八坂神社:石原町
京都祇園の八坂神社の分社と考えられています。全国に3000の分社がありここもその1つです。中仙寺に安置されている牛頭天王坐像は、八坂神社に祀られていましたが、明治の神仏分離の際に中仙寺に移されたもので平安時代後期の作といわれています。この八坂神社も約900年前にはこの地に祀られていたようです。
1889年の町村制の際に、八上郡の南花田、中、野遠、河合の各村が合併し「北八下村」となり、大饗、石原、菩提、小寺、野尻の各村が合併して「南八下村」となりました。この「八下」というのは、「八上郡」の下にできた村ということで名づけられました。
天平年間(729~749)に光明皇后によって、大饗付近に河内国分尼寺が創建されたと伝えられています。この寺を開基した天竺の僧「菩提遷那」にちなんでこの地名が付けられたと言われています。南八下小学校の南東に、国分池もあります。
平城宮造営のためにかりだされた人々が、路傍で餓死することが多くあったために、行基は宿泊施設を各地につくりました。それが「布施屋」です。その1つがこの地にあり、「石原布施屋」とよばれていました。竹内街道沿いに設けられたようです。この頃から「石原」と呼ばれていたようです。
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