5 江戸時代の町屋まちや・山口家住宅じゅうたく

 刃物はもの工場の集まっているところを少し南に行きます。そこには、平成21年に堺市が修理しゅうりして公開こうかいされた住宅があります。山口家住宅です。

 この住宅は、江戸時代の初めごろの住宅といわれています。元禄げんろく2(1689)年の堺大絵図おおえずでもえがかれている家で、地図の中では「越前えちぜん屋久やきゅう衛門もん」の名前が書かれていました。それで、おそらく元和げんなまちわりのころに出来たのではないかといわれているのです。平成19年に堺市にこの住宅がゆずられるまで、15代にわたって山口家として代々続いてきた家です。

 江戸時代当時はどんな仕事をされてきたのかくわしいことは分かりませんが、昔の資料しりょうから、町の中にある庄屋しょうやとしての役をされてきたようです。奉行所ぶぎょうしょと町方・村方とをつないでいたのですね。

 てられた当時の入り口は、山之口筋やまのくちすじの西側にありました。現在の入り口は南側にあり、そこを入ると土間どまがあります。玄関げんかん土間の西側には玄関の間・西座敷ざしきが、北側には主屋おもやの土間が広がっています。その土間の西側に九畳じょうの北の間から、中の間、南の間と座敷がつながっています。

山口家住宅

 先の土間から三つの部屋とこの西座敷のあたりが古く、江戸時代初めごろから安永4(1775)年に建てられた部分です。ちょうど写真に写っている右側が入り口のある南側の道路で、かどが西座敷にあたります。また、このおくには、ろうかでつながった座敷むね土蔵どぞうがあります。

 これまでに何度かのぞう改築かいちくがくりかえされて、現在の建物になっているのです。町家の建物としては、現存げんぞんする江戸時代の初めごろの建物は数が少なく、昭和41(1966)年に、この住宅の南側の古いむねの建物が、国の重要じゅうようぶんざい指定していされています。

 

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