26 はまでら公園こうえん駅舎えきしゃ

 前回の浜寺公園への最寄もよりのえきは、この南海なんかい本線ほんせんの「浜寺公園」駅でしょう。この駅の近くで生まれた私は、この駅を当たり前のようにして利用してきました。でも、この駅はとてもねうちのあるものだったのです。

 この駅が開いたのは明治30(1897)年のことですが、当時は浜寺駅とよばれていました。現在げんざい建物たてものができたのは明治40年のことで、この時から駅名も浜寺公園駅となっています。今から百年以上も前のことですね。

 設計せっけいされたのは、辰野たつのきん博士はくしといって、現在のレンガづくりの東京駅とうきょうえきや、中之島なかのしまに建っている大阪市立中央公会堂こうかいどうなどを設計せっけいされた方です。いずれもわが国を代表する洋風ようふう建築けんちくです。それだけにモダンなつくりで、現在では、私鉄してつもっとも古い木造もくぞうの駅となっています。

 かつて、昭和20年代から40年代にかけて、毎年夏にはこの駅から多くの人々がりしていました。駅前えきまえの浜寺公園の向こうにある海水浴場かいすいよくじょうに行くためでしたし、海がうめ立てられてからは公園内につくられた大阪府営おおさかふえいの大プールに行くためでした。駅に電車が着くと、おおぜいのお客さんが、この駅を西側に降りてくるのです。

 でも、これは戦後せんごだけのことではありません。明治めいじ時代じだいから公園内には海水浴のお客さんや、公園そのものを楽しまれるお客さんなどが利用できるような旅館りょかんなどもあり、たくさんの人が利用りようしていたのです。以前いぜんにも書きましたが与謝野よさの晶子あきこさんも来られていた一人ですね。わが国でも有数ゆうすうのリゾート地だったのではないでしょうか。

浜寺公園駅舎

 さて、南海本線が高架こうかにされる工事が始まり、この駅の歴史的れきしてき建物たてものがなくなることを心配しんぱいしましたが、南海電鉄でんてつ保存ほぞんするために西に少し移動をしています。

 となりの諏訪すわもりえきの建物とともに、この浜寺公園駅の建物も国の登録とうろく有形ゆうけい文化ぶんかざいとしてへいせい10年に登録されています。

 

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