58 岩室いわむろ釜室かまむろ片蔵かたくら富蔵とみくら

 

 今回は、南区を歩いていて気づいたことにふれましょう。写真のように、南区の泉北せんぼくニュータウン以外の地名に「むろ」「くら」という文字が使われているのが分かります。このことに何か共通のことがあるような気がします。何があるのでしょうか。

 これらの町は、ちょうどいし津川づがわの上流にあります。泉北ニュータウンは、昔の台地だいちの上の部分で、山林だったところを開発してつくられています。しかし、タイトルにある地名のところは、台地と台地にはさまれたひくい土地のところで、川にそってありました。昔から人々はそういうところで生活をしてこられたのです。

 このあたりは、第五一回で書いた「陶邑すえむら」の窯跡群かまあとぐんの中心の地域ちいきになっていて、あちこちで須恵器すえきかれていました。土も焼物やきものに向いていたのでしょう。焼けた須恵器はここから各地に運ばれて使われていました。このかまで焼いた須恵器を一時、保存ほぞんしてためておく必要もありました。それにふさわしい場所がここだったのです。それが「くら」で、そこからこの地域に「蔵」の文字が付けられたようです。

 また、「室」というのは、岩にできている洞穴どうけつ(ほらあな)のことです。このあたりにはこの「洞穴」があちこちにあったのでしょう。当時は、こういう洞穴に須恵器を保管ほかんしていたのでしょう。「蔵」と同じ役割やくわりを、この地域でもされていたのですね。

 現在は、このような洞穴は見つかってはいませんので、書いたようなことはたしかめられません。しかし、地名をさぐっていくと、昔のくらしが少しでも見えてくるのがおもしろいなと思います。

 みなさんが住んでおられるところの地名がなぜつけられたのかを、さぐってみるのもいいでしょう。今まで気づかなかったふしぎを発見できるかもしれません。堺市内のあち こちを歩き回っているからこそ見えてくるふしぎをたくさん見つけてほしいと思っています。

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