今回は、南区を歩いていて気づいたことにふれましょう。写真のように、南区の泉北ニュータウン以外の地名に「室」「蔵」という文字が使われているのが分かります。このことに何か共通のことがあるような気がします。何があるのでしょうか。
これらの町は、ちょうど石津川の上流にあります。泉北ニュータウンは、昔の台地の上の部分で、山林だったところを開発して造られています。しかし、タイトルにある地名のところは、台地と台地にはさまれた低い土地のところで、川にそってありました。昔から人々はそういうところで生活をしてこられたのです。
このあたりは、第五一回で書いた「陶邑」の窯跡群の中心の地域になっていて、あちこちで須恵器が焼かれていました。土も焼物に向いていたのでしょう。焼けた須恵器はここから各地に運ばれて使われていました。この窯で焼いた須恵器を一時、保存してためておく必要もありました。それにふさわしい場所がここだったのです。それが「蔵」で、そこからこの地域に「蔵」の文字が付けられたようです。
また、「室」というのは、岩にできている洞穴(ほらあな)のことです。このあたりにはこの「洞穴」があちこちにあったのでしょう。当時は、こういう洞穴に須恵器を保管していたのでしょう。「蔵」と同じ役割を、この地域でもされていたのですね。
現在は、このような洞穴は見つかってはいませんので、書いたようなことは確かめられません。しかし、地名をさぐっていくと、昔のくらしが少しでも見えてくるのがおもしろいなと思います。
みなさんが住んでおられるところの地名がなぜつけられたのかを、探ってみるのもいいでしょう。今まで気づかなかったふしぎを発見できるかもしれません。堺市内のあち こちを歩き回っているからこそ見えてくるふしぎをたくさん見つけてほしいと思っています。