59 熊野くまの街道かいどうさかい王子おうじ

恋かなし 小栗判官

 昔の堺の町の山之口筋やまのくちすじを南に歩いていくと、環濠かんごうだった居川いがわに出ます。そこにかかっているはしは「山之口橋」です。そこをわたって南につづいている道が、「熊野街道」です。

熊野街道に設置された絵図

 

 

 

 この街道は、大阪市内から和歌山県わかやまけん那智勝浦なちかつうらにある熊野くまの大社たいしゃまで続いています。主に熊野の三社へのおまいりに使われた道で、平安時代(794~1192年)の中ごろから上皇じょうこう貴族きぞくたちがよくおまいりされました。武士ぶしの時代になると武士たちやふつうの人々もおまいりするようになり、にぎわったようです。

 江戸時代には浄瑠璃じょうるりという三味線しゃみせんを使って話を語る芸能げいのうで、小栗おぐり判官はんがんを主人公にしたものがはやりました。足利あしかがにせめられた小栗判官が、にげる途中とちゅうてるひめと出会いますが、判官は毒殺どくさつされかけ病気びょうきで歩けなくなります。判官は地車じくるませられて照手姫とともに熊野までおまいりに行き、病気はなおるという話です。この小栗判官にちなんでこの街道を「小栗街道」ともよぶようになりました。

境王子

 熊野までの道には、九十九王子とよばれるたくさんの神社がおかれていました。堺市内にも境王子と大鳥居おおとりい王子おうじがおかれていました。熊野もうでをするときに、この王子でおきょう供養くようしたり神楽かぐらをおこなったりして奉納ほうのうしたようです。写真の「境王子」の石碑せきひは、現在の堺区北田きたた出井でいちょう王子おうじうえ公園こうえんっていますが、熊野大社からおくられたものです。

 このシリーズの第一回にのせた文久3年の「改正かいせいさかい大絵図おおえず」でも、浅香山あさかやまの南に「王子おうじうえ」がえがかれています。熊野街道や九十九王子は、それだけ多くの人の心に残されていたのでしょう。その後も人形浄瑠璃じょうるりなどでも「小栗判官」の話は人形しばとして上演じょうえんされ、多くの人たちの心をつかみました。

 なお、もう一つの「大鳥居王子」は、どこにあったのかは、まだわかっていません。

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