「深井」というところは、僧行基と大いに関係があります。というよりも、行基によって開けたといってもいいかもしれません。
行基というお坊さんは、49ものお寺をつくり、三つの池を造られたことは、前にも書きましたが、井戸もたくさんほって水を手に入れて、農業がさかんになるようにしてこられました。この「深井」というところでも井戸をほっています。
行基が井戸をほったところ、そこから水がふき出してきました。深い井戸をほって清水がわきだしたので、ここを「深井」とよぶようになりました。今では「深井清水町」という町名にまでなっています。プラネタリウムのある堺市教育文化センター(ソフィア・堺)のあるところが、深井清水町です。
さすがに現在では、行基のほられた井戸は跡かたもなくなり、石碑だけが伊勢路川ぞいに建てられていますが、当時の人たちにとっては、「めぐみ」の井戸だったでしょうね。もともと雨の少ない地域で大きな川もなかったので、農業のためには水を手に入れることが欠かせなかったのですから。
この周辺には、大野寺や野々宮神社、薦池、など行基が関係したものが残されています。大野寺は「土塔」のところでも書きましたが、行基の建てた49のお寺の一つですし、野々宮神社には、明治時代になるまで、行基の建てられたお寺の一つの香林寺がいっしょになっていました。薦池は、この土地の農業用に行基が造られたため池です。このように、それだけ行基がこの地で人々のためにはたらかれたのでしょう。
また、泉北高速鉄道の深井駅前には、写真の大きなモニュメントが建てられていますが、これは、井戸から清水が湧き出しているところをイメージしたものだそうです。まさに「深井」のシンボルですね。