山口家住宅から少し東に歩いて寺町筋に入りましょう。南に行くと日蓮宗のお寺があります。月蔵寺です。
山門をくぐろうと上を見上げますと、山門には中国が北宋とよばれていた時の政治家である司馬光のかめ割りの話が、彫刻されているのが見えます。それは、司馬光が七歳のときに、いっしょに遊んでいた友達が大きな水がめに落ちておぼれそうになりました。まわりにいた大人がどうしようと困っている時に司馬光が水がめをわって友達を救ったというものです。そして、司馬光が、当時、その土地ではとても大切であった水よりも、子どもの命を一番大事なものと考えたことを父親がほめたというお話です。
ところでこの寺は、明応4年(1495)に建てられたものですが、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で焼けてしまっています。くぐった山門は嘉永3年(1850)に再建されたもので、本堂は、正徳2(1712)年にやはり再建され何度かの修理の後、現在の姿となっています。
境内には、大野道犬の慰霊塔があります。大野道犬とは、豊臣秀吉の主だった家来ですが、大坂夏の陣では、徳川家康に堺の町をとられないようにと、堺の町を焼いてしまいました。最後はとらえられて堺の町で処刑されますが、後に豊臣家に忠誠を通したとして堺の人々により、供養塔が建てられました。それがこの供養塔です。
また、風間六右衛門のお墓があります。風間六右衛門は、夏の陣で焼けてしまった堺の町を、家康の命令でつくりなおした奉行です。しかし、六右衛門は、日蓮宗のお寺の敷地を他の宗派のお寺よりも広くとったために、他の宗派のお寺からの苦情が強く、江戸に向かう途中に堺の町の中で自殺をしました。その時に建てられたお墓は、大野道犬の供養塔と共に、明治時代にここに移されたようです。
なお、六右衛門がなくなった所には、「風間堂」が建てられています。