78 堺市さかいししょう

 写真しゃしんのマークを見たことはありますか。何のマークかは知っていますか。実は、堺の市章です。「市章」というのは、市のシンボル、そのマーク一つを見ただけで「どこの市」と分かるために作ったものです。堺市さかいし役所やくしょにこのマークのえがかれたはたがあがっているのを見たことがあるかもしれませんね。

 この市章は、明治めいじ28年(1895)につくられました。堺の町が市になったのは、全国に市制しせい町村制ちょうそんせいがしかれた明治22年のことです。それから6年後に市章がつくられたことになります。

堺市章

 では、このマークが、なぜ堺市を表しているのでしょうか。堺の町は、平安へいあん時代じだいごろから地名ちめいとしてよばれていたことは、以前いぜんにもきましたが、もともとは「さかい」をあらわしていました。つまり境界きょうかいです。「となりの家との境」などと言うことがあるでしょう。わが国は、かつては多くの国に分かれていました。国といっても現代げんだいの国とはちがって、大名だいみょうがおさめていた国のことです。でも堺の町は、どこの国にも入ってはいませんでした。徳川とくがわ幕府ばくふ直接ちょくせつおさめるために「直轄地ちょっかつち」とよばれていました。そのために堺にはさかい奉行所ぶぎょうしょがおかれて政治せいじをしていたのです。堺の町の北には「摂津せっつのこく」、東には「河内かわちのこく」、南には「和泉いずみのこく」と3つの国にかこまれていました。ちょうど、三つの国の境にあったといってもいいでしょう。

 明治22年に市になった堺市は、もとの3つの国の境に発展はってんした町であったので、「境」つまり「堺」とよばれていたのです。そして、市章も、3つの「市」という文字をみ合わせてつくられたのです。ちょっとみると、フォークを3本組み合わせたように見えますが、そうではなく、「市」が3つなのです。

 これから町の中をあるくときに、まわりにあるものをしっかり見てください。この市章を見つけるかもしれません。「堺市を見つけた」といえるのですよ。

 

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です