92 堺の刃物はもの

 「むかしから 堺の庖丁ほうちょう よく切れる」
と、堺かるたでも読まれているように、堺の庖丁の切れ味はとてもよく、全国の調理師ちょうりしさんたちにもよく使われています。では、堺の庖丁はなぜよく切れるのでしょうか。また堺の庖丁づくりはいつごろから始まったのでしょうか。

水野鍛錬所:刃物づくり

 庖丁についてお話しする前に、堺の刃物についてふれておきます。古墳こふん時代じだい(400年中ごろ~500年はじめごろ)のことです。大仙だいせん古墳こふん仁徳にんとくりょう古墳)をはじめとする大きな古墳が、現在の堺で次々と造られていました。古墳は土をってつくられていますので、まず土をる道具が必要です。そのために全国からクワやスキなどを造る鍛冶かじ職人しょくにんを堺などに集めました。現在のようにてっ鉱石こうせきなどを外国から買うことなどできませんから、川に流れてくる砂鉄さてつを集めて鉄製てつせいの道具をつくりました。この人たちが後に河内かわち鋳物師いもじとよばれる人たちになります。全国の武器ぶき武具ぶぐ、お寺の釣鐘つりがねなどをつくっていきます。やがてこの人たちも全国に移っていってその地で鋳物いものづくりを始めます。

馬場刃物製作所:ふいご

 天保てんぽう年間(1830~44年)になって、ポルトガルからわが国にタバコが伝えられ、しだいに人々にタバコが広まっていきました。タバコのをポルトガルから運んでくるので、その葉を切る刃物が必要になります。そこで、先の鋳物師の中で堺のみなと近くに集まった人たちが、タバコの葉をきざむ庖丁、つまり「タバコ庖丁」をつくり出すのです。これが、堺での庖丁造りの始まりです。

 鉄を庖丁のかたに流して造るのではなく、鉄を高い温度でねっして真っ赤になった鉄をたたく、また熱してはたたく、これをくり返すことでじりけのない、純粋じゅんすいかたい鉄のかたまりになっていきます。これで庖丁をつくったのです。

八内刃物製作所:砥ぎ

 ただこれだけではまだ切れません。今度はこれをぐのです。あらから細かいまでを使って何度も砥いで切れ味を出していくのです。それでカミソリのような切れ味が出るのです。

 堺区の北部に鍛冶かじぎ・つけなどのもの業者ぎょうしゃが集まっていま、すが、ほとんどは家内かない工業こうぎょうというように家族かぞくで行われています。

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