112 さかい銀座ぎんざ

堺銀座商店街東入口

 南海高野線を堺東駅で下車。市役所がわに出ると西の道路の向こうには商店街があります。さかい銀座通ぎんざどおりです。

 みなさんは、「銀座」と聞くと何を思いうかべるでしょうか。みなさんよりももう少し年上の方なら、東京の銀座を思いうかべるかもしれませんね。全国でも六百ほどの「銀座」という名前のついた商店街などがあるそうです。

 

  では、そもそも「銀座」とは何でしょうか。江戸時代の直前ちょくぜんにまでさかのぼります。1601年に京都の伏見ふしみに、銀貨ぎんか(銀で造ったお金)をつくったり、銀そのものを売り買いしたりするための役所をつくりました。これが銀座の始まりです。銀座とは、こういう役所のことをいいます。その後駿府すんぷ(今の静岡県しずおかけん)にもつくられた銀座は1612年に、東京の京橋きょうばしにうつります。やがてこの地は、人々が集まるにぎやかなまち(繁華街はんかがい)になっていき、全国の繁華街に「銀座」とよばれる商店街などが生まれることになっていきました。

堺銀座商店街

 堺銀座もその例にもれないところですが、実は少しよそとはちがいます中世ちゅうせい自治じち都市としだった堺には、石見いわみ銀山ぎんざん生野いくの銀山でとれた銀が集まってきていました。さらに堺には、灰吹はいふきぎんなまりを使って銀を取り出す方法)をあつかう人たちによる南鐐座なんりょうざがありました。この南鐐座がわが国の最初の「銀座」です。堺の銀座通りが第二次世界大戦後につくられて、「銀座」がようやく堺にもどってきたことになるのです。

 また、先に書きました伏見銀座の初代の技術ぎじゅつちょうには、堺の銀吹ぎんふき名人の湯浅ゆあささく兵衛べえが命じられ、江戸時代のお金を造ったり流通りゅうつうさせたりするのに力をつくしています。

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