
南海高野線を堺東駅で下車。市役所側に出ると西の道路の向こうには商店街があります。堺銀座通りです。
みなさんは、「銀座」と聞くと何を思いうかべるでしょうか。みなさんよりももう少し年上の方なら、東京の銀座を思いうかべるかもしれませんね。全国でも六百ほどの「銀座」という名前のついた商店街などがあるそうです。
では、そもそも「銀座」とは何でしょうか。江戸時代の直前にまでさかのぼります。1601年に京都の伏見に、銀貨(銀で造ったお金)をつくったり、銀そのものを売り買いしたりするための役所をつくりました。これが銀座の始まりです。銀座とは、こういう役所のことをいいます。その後駿府(今の静岡県)にもつくられた銀座は1612年に、東京の京橋にうつります。やがてこの地は、人々が集まるにぎやかなまち(繁華街)になっていき、全国の繁華街に「銀座」とよばれる商店街などが生まれることになっていきました。

堺銀座もその例にもれないところですが、実は少しよそとは違います中世の自治都市だった堺には、石見銀山や生野銀山でとれた銀が集まってきていました。さらに堺には、灰吹銀(鉛を使って銀を取り出す方法)をあつかう人たちによる南鐐座がありました。この南鐐座がわが国の最初の「銀座」です。堺の銀座通りが第二次世界大戦後につくられて、「銀座」がようやく堺にもどってきたことになるのです。
また、先に書きました伏見銀座の初代の技術長には、堺の銀吹名人の湯浅作兵衛が命じられ、江戸時代のお金を造ったり流通させたりするのに力をつくしています。