南海本線堺駅からまっすぐ東方にのびている道が大小路筋です。この道がむかしの堺の中心になる道でした。この道を東向いて歩いていくと、阪堺電車をよこぎり、やがて熊野小学校の前に出ます。その東側に、南北にのびている阪神高速道路の下に、新しい土居川はうまっています。その高速道路と小学校との間に細長い公園があります。これが土居川公園です。南北にとても長くのびている公園です。
ここには、もともとは、「農人町」といって、農家が南北に土居川に並行しておかれていました。農家の人たちは、土居川にかかる橋をこえて東側にある畑や田で農作物を育てていたのです。この農人町のなごりとして、写真の井戸が残されています。もう現在は使われてはいませんが、かつて農人町があったことをうかがわせています。
また、その橋のなごりとして、写真の「極楽橋」も残されています。この橋は江戸時代の終わりごろの嘉永6(1853)年につくられた石の橋で、こういう橋が一番多い時で36もかけられていました。かつては市内の人がなくなられた時に、この橋をわたって王子ケ飢墓地に行っていました。そこで、「極楽橋」という名前がつけられたそうです。
江戸時代にほられた新しい土居川については、「堺歴史ウォーキング」の第1回で書いたのでここではふれませんが、この川も昭和40(1965)年にはうめたてられて、阪神高速道路ができました。でも、堺にとっては自治都市として名残の川だっただけに、とてもおしいものをなくした気がします。ただ、うめられた当時はとてもよごれた水で魚もすめなかったほどでした。