42 居川いがわはしのうにんまち

 南海なんかい本線ほんせん堺駅さかいえきからまっすぐ東方にのびている道が大小路筋おおしょうじすじです。この道がむかしの堺の中心になる道でした。この道を東向いて歩いていくと、はんかい電車でんしゃをよこぎり、やがて熊野ゆや小学校しょうがっこうの前に出ます。その東側に、南北にのびている阪神はんしん高速こうそく道路どうろの下に、新しい土居川はうまっています。その高速道路と小学校との間に細長い公園こうえんがあります。これが土居川公園です。南北にとても長くのびている公園です。

農人町井戸

 ここには、もともとは、「農人町」といって、農家のうかが南北に土居川に並行へいこうしておかれていました。農家の人たちは、土居川にかかる橋をこえて東側にある畑や田で農作物のうさくぶつを育てていたのです。この農人町のなごりとして、写真の井戸が残されています。もう現在は使われてはいませんが、かつて農人町があったことをうかがわせています。

極楽橋

 また、その橋のなごりとして、写真の「極楽ごくらくばし」も残されています。この橋は江戸えど時代じだいの終わりごろの嘉永かえい6(1853)年につくられた石の橋で、こういう橋が一番多い時で36もかけられていました。かつては市内の人がなくなられた時に、この橋をわたって王子おうじうえ墓地ぼちに行っていました。そこで、「極楽橋」という名前がつけられたそうです。

 江戸時代にほられた新しい土居川については、「堺歴史ウォーキング」の第1回で書いたのでここではふれませんが、この川も昭和40(1965)年にはうめたてられて、阪神高速道路ができました。でも、堺にとっては自治じち都市としとして名残なごりの川だっただけに、とてもおしいものをなくした気がします。ただ、うめられた当時はとてもよごれた水で魚もすめなかったほどでした。

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