67 少林寺しょうりんじ

 町名にもある「少林寺」です。はんかい電車でんしゃ寺地町てらじちょうていりゅう所から南東へ三百メートルほど歩いたところにあります。

少林寺山門

 「少林寺」と聞くと、「少林寺拳法けんぽう」を思い出されるかもしれません。でも、このお寺は、拳法とは関係はありません。もとは「少林寺」ではなくて「小林寺」でした。開かれたのは元徳げんとく2年(1330)でしたが、のちに中国の「少林寺」にならって「小」を「少」の字にあらためました。境内けいだいは、現在の寺地町と少林寺町とを合わせた地域ちいきが海までつづいていたほど広かったのです。しかし、織田おだ信長のぶながにそのお寺の境内の大部分をとられたために、しだいにせまくなっていきました。それでも、豊臣とよとみひでよしは、家来けらい石田光いしだみつなり小西こにしゆきながに命令して境内の竹を切ることをやめさせたというほど、このお寺は有名だったのです。

白蔵主:和泉名所図会

 さて、江戸時代の「和泉いずみ名所めいしょ図会ずえ」という本には、「はく蔵主ぞうす」の話が、「少林寺」について書かれているところにのせられています。「白蔵主」というのは、キツネがおぼうさんにけたものをいいます。りょうをするお坊さんのおいをおそれた白いキツネが、お坊さんにばけて、猟をするのをやめるように、甥に話します。その時は、甥も猟をやめるのですが、後に、キツネがお坊さんに化けていたのがばれたために、キツネはげ去ってしまうのです。

少林寺

 えいとく元年(1381)、こううんあんのお坊さんの白蔵主が、お稲荷いなりさんにおまいりして、狂言きょうげんつりぎつね」をつくりました。それがえんじられてから、狂言や歌舞伎かぶきで「釣狐」を演じる場合には、この「少林寺」をおまいりして、げいがうまくなるように、上演じょうえん成功せいこうするようにお願いをしました。そして、寺にえてある「逆芽さかめだけ」を一本おいのりをしてもらって持って帰り、上演のときにツエに使われることになっています。

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