68 行基ぎょうきふか

 「深井」というところは、僧行基と大いに関係かんけいがあります。というよりも、行基によって開けたといってもいいかもしれません。

深井駅前南東側.
行基井戸跡:伊勢路川沿い

 行基というお坊さんは、49ものお寺をつくり、三つの池を造られたことは、前にも書きましたが、井戸もたくさんほって水を手に入れて、農業のうぎょうがさかんになるようにしてこられました。この「深井」というところでも井戸をほっています。

 行基が井戸をほったところ、そこから水がふき出してきました。深い井戸をほって清水しみずがわきだしたので、ここを「深井」とよぶようになりました。今では「深井清水町」という町名にまでなっています。プラネタリウムのある堺市さかいし教育きょういく文化ぶんかセンター(ソフィア・堺)のあるところが、深井清水町です。

 さすがに現在げんざいでは、行基のほられた井戸はあとかたもなくなり、石碑せきひだけが伊勢いせがわぞいにてられていますが、当時の人たちにとっては、「めぐみ」の井戸だったでしょうね。もともと雨の少ない地域ちいきで大きな川もなかったので、農業のためには水を手に入れることがかせなかったのですから。

野々宮神社

 この周辺しゅうへんには、大野寺おおのでら野々宮ののみや神社じんじゃこも池、など行基が関係したものが残されています。大野寺は「土塔どとう」のところでも書きましたが、行基の建てた49のお寺の一つですし、野々宮神社には、明治時代になるまで、行基の建てられたお寺の一つのこう林寺りんじがいっしょになっていました。薦池は、この土地の農業のうぎょう用に行基が造られたため池です。このように、それだけ行基がこの地で人々のためにはたらかれたのでしょう。

 また、泉北せんぼく高速こうそく鉄道てつどう深井駅前ふかいえきまえには、写真の大きなモニュメントが建てられていますが、これは、井戸から清水がき出しているところをイメージしたものだそうです。まさに「深井」のシンボルですね。

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