今回は、堺市内にある与謝野晶子の他の歌碑をみていきましょう。
まずは、堺中央図書館前の歌碑です。
「堺の津 南蛮船の 行きかへば
春秋いかに 入りまじりけむ」
会合衆の自治によって治められ、南蛮貿易の湊としてにぎわった堺の歴史にはさまざまな出来事があったでしょう、と歌ったものです。昭和5年に完成された「堺市史」を祝って、晶子から送られた歌です。晶子にとって堺の街や堺の歴史は忘れられないものだったのかもしれません。
もう一つ、西本願寺堺別院におかれた歌碑です。
「劫初より 作りいとなむ 殿堂に
われも黄金の 釘一つ打つ」
この世の初めからずっと築きあげられてきた芸術や文学の殿堂に、私も輝かしい黄金の釘をしっかり打ち込みました、と歌っています。昭和42年のNHKのドラマで与謝野晶子を主人公とした「みだれ髪」が放送されました。それを記念して、そして夫の与謝野鉄幹の父が西本願寺派の僧だったことら、西本願寺堺別院に晶子のこの歌碑が建てられたのです。
その他にも、
「山の動く日きたる、
かくいへど、人これを信ぜじ・・・・」
の歌をほり込んだ、堺女子短期大学内の歌碑や
「をとうとは おかしおどけし 紅きほに
涙流して 笛ならうさま」
の少林寺小学校前の歌碑など、堺市内で24もの歌碑や与謝野晶子の像があります。一つ一つ見て回ると、与謝野晶子の素晴らしさに心を打たれるかもしれません。