阪和線上野芝駅から少し西に歩いたところに、写真下のような道がカーブしているところがあります。他の道は直線なのに、この道だけがカーブをしているのです。なぜでしょうか。
実はここには昭和24年(1949)まで大塚山古墳という前方後円墳がありました。古墳時代の中頃(五世紀頃)につくられた古墳で、全長168メートル、高さ14メートルもある立派なものです。百舌鳥古墳群では五番目の、全国でも54番目の大きさをほこっていました。しかし、陵墓や史跡に指定されていませんでしたので、戦後の住宅不足から、土地を開発する業者がこの古墳を削りとって平らにして、住宅を建てるための土地にしたのです。
開発される前に発掘調査をしています。ここからは、三角板革綴襟付短甲と呼ばれるとてもめずらしい鉄製の鎧が発見されました。その他にも、鎧の一部分である草摺と呼ばれる太腿を守るものや、すね当てという足を守るもの、鉄製の鉾(剣)、鉄製の斧など、戦いの道具などが発見されています。発見された鉾は300本をこえていたようです。
左の写真は、昭和30年(1955)に大塚山古墳がこわされているところを朝日新聞社が撮影したもので、右側が後円部にあたります。上の写真のカーブしている道は、左の写真の後円部のカーブそのものなのです。なくなってしまった古墳の跡が、このように道路として残っているのです。戦後、最大の古墳がこのようにして姿を消してしまいました。