阪和線津久野駅から細い道を北にのぼっていくと、この「踞尾八幡神社」に出ます。これは、「何八幡」と読めばいいのでしょうか。これで「つくおはちまん」と読みます。この土地の人々は、「踞尾」を古くから「つくのお」と読んできました。ここから、この神社のあるこの地を「つくの」と呼ぶようになりました。
さて、この神社です。開かれたのは古く、嘉祥三年(850)のことだそうです。三~四世紀の頃、神功皇后が朝鮮半島に戦に向かい、勝って帰ってきたときにこの地に立ち寄りました。そのときに、この土地の人たちが皇后にひれ伏した(うずくまる)ことが、「踞尾」という地名になったとのことです。そして、この地に社を建てて、神功皇后の息子だった応神天皇をおまつりしたのがはじまりです。
その後、平安時代の終わり頃(1185年頃)、源義経が平家をうつために四国の屋島にわたるときに嵐にあい、この踞尾に避難をしました。その際、踞尾八幡神社に武運長久をお祈りして馬の鞍を奉納しました。このときに義経が腰かけて休憩したとされる「義経腰かけ石」が境内に置かれています。また義経たちは、神野庄司左衛門の家に泊めてもらって世話をしてもらったので、そのときのお礼の手紙も、この神社に残されています。
さて、現在の「津久野」という地名と駅名です。昭和35年(1960)に阪和線に新しい駅が開業しました。そのときに、「踞尾」の文字が読みづらいことなどから「津久野」という文字にかえて駅名にしました。それにともなって昭和39年(1964)に地名と小学校名の漢字を読みやすくするために「津久野」とあらためました。「踞尾」の文字は、この八幡神社に残されています。