102 踞尾八幡はちまん神社

踞尾八幡神社拝殿

 阪和はんわせん津久野駅つくのえきから細い道を北にのぼっていくと、この「踞尾八幡神社」に出ます。これは、「何八幡」と読めばいいのでしょうか。これで「つくおはちまん」と読みます。この土地の人々は、「踞尾」を古くから「つくのお」と読んできました。ここから、この神社のあるこの地を「つくの」とぶようになりました。

 さて、この神社です。開かれたのは古く、しょう三年(850)のことだそうです。三~四世紀の頃、じんぐう皇后こうごう朝鮮ちょうせん半島はんとういくさに向かい、勝って帰ってきたときにこの地に立ち寄りました。そのときに、この土地の人たちが皇后にひれした(うずくまる)ことが、「踞尾」という地名になったとのことです。そして、この地にやしろを建てて、神功皇后の息子むすこだったおうじん天皇をおまつりしたのがはじまりです。

義経腰かけ石

 その後、平安時代の終わりごろ(1185年頃)、源義経みなもとのよしつね平家へいけをうつために四国の屋島やしまにわたるときにあらしにあい、この踞尾に避難ひなんをしました。そのさい、踞尾八幡神社に武運ぶうん長久ちょうきゅうをおいのりして馬のくら奉納ほうのうしました。このときに義経がこしかけて休憩きゅうけいしたとされる「義経腰かけ石」が境内けいだいかれています。また義経たちは、神野庄司左衛門の家にめてもらって世話をしてもらったので、そのときのお礼の手紙も、この神社に残されています。

 

昭和36年 踞尾八幡神社からのながめ

 さて、現在の「津久野」という地名と駅名です。昭和35年(1960)に阪和線に新しい駅が開業かいぎょうしました。そのときに、「踞尾」の文字が読みづらいことなどから「津久野」という文字にかえて駅名にしました。それにともなって昭和39年(1964)に地名と小学校名の漢字かんじを読みやすくするために「津久野」とあらためました。「踞尾」の文字は、この八幡神社に残されています。

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