103 かぎのちょう芝居しばいあと

「鎰町芝居跡」の石碑

 阪堺電車「御陵前」のていりゅう所をおりて、居川いがわにそって北西に歩きましょう。橋を北東にわたり、一つめの角を左に曲がったところ、南旅篭みなみはたごちょう西と南半みなみはんちょう西とのさかいに、この石柱が建てられています。むずかしい字ですが、「かぎのちょうしばいあと」と読みます。

 かつて、このあたりに芝居小屋があったのです。時代は江戸えど時代、それもかんぶん10年(1670)には幕府ばくふから認められていました。芝居小屋があったのはここだけではなく、えびすじまといって現在の堺駅の北の方にもありました。

 当時、芝居小屋があるということは、そのあたりに人たちが遊べる小屋がいくつも集まっているような場所だったのです。大小路筋おおしょうじすじを中心にして大きな屋敷やしきならんでいたので、それをさけてつくられたようです。

 さて、この「鎰町」というのは、町がかぎのように曲がっていたことからつけられた町名のことで、現在はもうその名前はありません。

中村富十郎似顔絵(右から2人目)

 鎰町芝居の小屋は、東西20メートルあまり、舞台ぶたいは5メートル四方の大きさでした。ここでは、歌舞伎かぶきが上演されていました。京や大坂の有名な役者が来て芝居をしていたようです。大坂からは、三代目中村歌右衛門うたえもんが出演したり、堺に住んでいた女形で有名な二代目中村とみ十郎じゅうろうが出演したりと、かなりはなやかな舞台だったようです。

 

 芝居を見に来た人たちは堺市内だけではなく、かわ内国ちのくに和泉いずみのくに、さらに今の奈良ならからも来ていました。特に有名な役者が出演するときには、京や大坂からも、時には堺のみなとで船の出るのを待っている人たちまでもが、芝居を見ていたようです。それほどにぎわってもいたのです。

鎰町芝居顔見世番付

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