阪堺電車「御陵前」の停りゅう所をおりて、土居川にそって北西に歩きましょう。橋を北東にわたり、一つめの角を左に曲がったところ、南旅篭町西と南半町西との境に、この石柱が建てられています。むずかしい字ですが、「かぎのちょうしばいあと」と読みます。
かつて、このあたりに芝居小屋があったのです。時代は江戸時代、それも寛文10年(1670)には幕府から認められていました。芝居小屋があったのはここだけではなく、戎島といって現在の堺駅の北の方にもありました。
当時、芝居小屋があるということは、そのあたりに人たちが遊べる小屋がいくつも集まっているような場所だったのです。大小路筋を中心にして大きな屋敷が並んでいたので、それをさけてつくられたようです。
さて、この「鎰町」というのは、町が鈎のように曲がっていたことからつけられた町名のことで、現在はもうその名前はありません。
鎰町芝居の小屋は、東西20メートルあまり、舞台は5メートル四方の大きさでした。ここでは、歌舞伎が上演されていました。京や大坂の有名な役者が来て芝居をしていたようです。大坂からは、三代目中村歌右衛門が出演したり、堺に住んでいた女形で有名な二代目中村富十郎が出演したりと、かなりはなやかな舞台だったようです。
芝居を見に来た人たちは堺市内だけではなく、河内国、和泉国、さらに今の奈良からも来ていました。特に有名な役者が出演するときには、京や大坂からも、時には堺の湊で船の出るのを待っている人たちまでもが、芝居を見ていたようです。それほどにぎわってもいたのです。