はとぶえの29、30回でも行基を取り上げましたが、堺市内にはまだまだ行基がかかわったとされるものが残されていますので、今回と次回の2回でも取り上げます。
まずは、「千日井」です。南海本線七道駅の東の道路ぞいにこの石碑とともに、昔の井戸が残されています。この井戸は、かつてこの地で病気がはやったときに行基がほった井戸で、千日も水がかれない井戸として、人々から「千日井」として大事に使われてきたものです。今はこの水は飲めませんが、このあたりの人々から現在でも大事にされています。
次は64回でも書きました大寺さんです。正式の名前は開口神社ですが、もとは、この神社の中に大念仏寺というお寺がありました。このお寺は行基が開いたもので、ここから人々は「大寺さん」と呼んで親しんでいます。
ここには三重塔も建てられていました。お寺がこわされるとき、当時の豪商だった鳥井駒吉がこの三重塔を買い取って守ったのです。しかし、堺大空襲でこの塔も焼けてしまいました。
堺東駅前からバスで南に向かいます。「山田北」停りゅう所でおりて少し西に向かうと、ゴルフの練習場のある池に出ます。この池が「鶴田池」です。行基がつくったため池の一つで、当時の人たちの農業用ため池として永く使われてきました。また、この周辺に鶴田池院・尼院とよぶお寺も行基がつくっていましたが、その姿は現在では見られません。
最後は、太平寺です。南海バス「菱木」停りゅう所の東500メートルのところにあります。このお寺も行基が開いたとされているお寺です。元は紀州(現在の和歌山県)の豪族の一族が祀られているお寺でした。このお寺の名前が、この土地の地名ともなっており、永く地域の人たちから親しまれてきたことが分かります。