
美原区のさつき野にまいります。丘陵地に広がる住宅地の北西のはしに、右側の写真のように土をもった所があります。これは「平尾土塁」とよばれている土塁です。また、その土塁の南、住宅街の中に下の写真の石碑が立っています。少し読みにくいですが、「平尾城(ねはん城)跡」と書かれています。平尾土塁は、平尾城の土塁だったのですね。平尾城は、城といってもかんたんな砦のようなものです。丘の端に城を造り、北の方からの敵に備えたものと考えられ、元弘年間(1331~1334年)に楠木正成が造ったと伝えられています。

この頃の時代を南北朝時代といって、北にある京都にも、南にある吉野にも天皇がいました。北にも南にも天皇がいてそれぞれが政治をおこなっていましたので、この時代を南北朝時代といいます。その南北朝時代の永徳三年(1382)に正成の三男楠木正儀が、山名氏と戦って敗れて退いたところが、この平尾城でした。
また、1388年に、三代将軍の足利義満が、現在の和歌山にあった玉津島神社にお参りして京都に帰る途中を、南朝方の正成の孫である楠木正勝が千人の軍勢で襲おうとしました。これを知った赤坂城にいた北朝方の山名氏清は、三千五百人の軍で平尾に先回りをして、正勝の軍をむかえて打ち破りました。この戦が平尾合戦です。
この四年後に、北朝方は、楠木氏の本拠地である千早城を落として、南北朝が一つになり、南北朝時代は終わりました。
これらの南朝方と北朝方との戦の跡が、ここ美原区さつき野に残されているのです。
