122 神南辺道心

 みなさんは、この「かん南辺なべ道心どうしん」という人をご存じですか。神南辺道心は、今の奈良県の生駒郡いこまぐんで生まれた兵衛へえというかんなべをつくる鋳物師いものしでした。燗鍋というのは、お酒を温めてさかづきなどに注ぐ入れ物です。すぐれた技をもっていながら、酒を飲んでは乱暴らんぼうをはたらくような人でした。

 息子はおさない時からそうとなり、僧がん弟子でしとなりました。そして生駒郡の吉田寺をて直すこともしています。この息子が父弥兵衛の行いをなげいていさめることもしました。弥兵衛はようやく自分の行いをくい改めて、僧となって国中を歩き回り、お布施ふせをもらっては、いたんだはしを直したり、分かれ道には道標どうひょうを立てたりして人々が遠い土地まで行き来するのを助けました。また、お地蔵じぞう様さま)を信じてあちこちにお地蔵様を立てることまでしました。

 あるとき、京都の御室山みむろやまの道標が多くいたんでいるのを建て直し、これが天皇の知るところとなって、弥兵衛は御所によばれて天皇にさかづきをもらいました。天皇は、仕事をしていたときの「燗鍋」では字が面白くないと、「神南辺」という文字とともに、「道心」という号をいただきました。ここから、「神南辺道心」と呼ぶようになったのです。

 京都の大仏がけてしまったときには、全国をめぐって寄付きふをもらって、大仏の再建さいけんの助けをしました。天保んぽう77年(1831)には天皇からぎんつえをいただいたり、さかい奉行ぶぎょうからはねんじゅをいただいたりしています。また、堺の町のきょく蓮社れんしゃというお寺のためにも寄付を集めて、本堂や庫裡くり、屋根の修理しゅうりなどをしました。天保12年2月20日になくなっています。

「道心」

 現在、旭蓮社の境内には「神南邊道心墳かんなべどうしんふん」ときざまれた台座だいざがあり、その上にはすわられたお地蔵様の石像が安置あんちされています(写真)

 なお、大阪狭山市史おおさかさやまししという本には、神南辺道心はおさないころから虫などをころすことが好きだったため、犬やミミズの地獄じごくに落ちるゆめを見て、地蔵じぞう菩薩ぼさつが現れて、今後地獄からすくうかわりによい行いをするようにと言われて目がめて心を入れかえたということが書かれています。

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