みなさんは、この「神南辺道心」という人をご存じですか。神南辺道心は、今の奈良県の生駒郡で生まれた弥兵衛という燗鍋をつくる鋳物師でした。燗鍋というのは、お酒を温めてさかづきなどに注ぐ入れ物です。優れた技をもっていながら、酒を飲んでは乱暴をはたらくような人でした。
息子は幼い時から僧となり、僧慈眼の弟子となりました。そして生駒郡の吉田寺を建て直すこともしています。この息子が父弥兵衛の行いをなげいていさめることもしました。弥兵衛はようやく自分の行いをくい改めて、僧となって国中を歩き回り、お布施をもらっては、いたんだ橋を直したり、分かれ道には道標を立てたりして人々が遠い土地まで行き来するのを助けました。また、お地蔵様さま)を信じてあちこちにお地蔵様を立てることまでしました。
あるとき、京都の御室山の道標が多くいたんでいるのを建て直し、これが天皇の知るところとなって、弥兵衛は御所によばれて天皇にさかづきをもらいました。天皇は、仕事をしていたときの「燗鍋」では字が面白くないと、「神南辺」という文字とともに、「道心」という号をいただきました。ここから、「神南辺道心」と呼ぶようになったのです。
京都の大仏が焼けてしまったときには、全国をめぐって寄付をもらって、大仏の再建の助けをしました。天保7年(1831)には天皇から銀の杖をいただいたり、堺奉行ぶぎょうからは念珠をいただいたりしています。また、堺の町の旭蓮社というお寺のためにも寄付を集めて、本堂や庫裡、屋根の修理などをしました。天保12年2月20日になくなっています。

現在、旭蓮社の境内には「神南邊道心墳」ときざまれた台座があり、その上にはすわられたお地蔵様の石像が安置されています(写真)
なお、大阪狭山市史という本には、神南辺道心は幼いころから虫などを殺すことが好きだったため、犬やミミズの地獄に落ちる夢を見て、地蔵菩薩が現れて、今後地獄から救うかわりによい行いをするようにと言われて目が覚めて心を入れかえたということが書かれています。
