堺市立三国丘小学校
堺東駅のすぐ東側にあるこの古墳は全長148m、高さ約15mで、5世紀後半頃に築造されたと考えられています。反正陵古墳は、百舌鳥耳原三陵の中で他の古墳よりかなり小さいことから、反正陵であることが疑問視されてもいます。
この神社は、摂津・河内、和泉の三国の境にあり、方位のない地と考えられてきました。昔から遠くへ出かけるときに方位がよくないと、一度別の方向に向かい、そこから行きたい方に向かうという「方違え」という風習がありました。方違神社には方位がないので、遠くに旅する時などにはここにお参りすることで「方違え」をしたことになり、禍に合わないと言い伝えられてきたのです。
3.大阪刑務所:田出井町
この刑務所は、1882年に大阪府西成郡(現・大阪市北区)に堀川監獄として設置されたのが始まりです。その後、大阪監獄となり、1920年に現在地に移転しています。1928年に「赤レンガ」と呼ばれた獄舎が完成し、1996年に現在のものに建て替えられました。収容定員は2703人だそうです。
堺市大道を起点として東に向かい、JR堺市駅の踏切を越えて五箇荘小学校の前から松原市、二上山の北を通って葛城市に向かう街道です。堺と奈良との交易のルートとして使われてきました。古代には大津道と呼ばれており、難波と飛鳥とを結んでいたようです。
5.旧天王貯水池:中三国丘町
1910年、上水道施設として建設された貯水池で、給水人口6万人への配水ができる規模でつくられました。正面の入口はヨーロッパでの建築の古典様式にならって、「凱旋門」風のデザインとなっています。現在は国の登録有形文化財となっています。
1520年代に堺の豪商紅屋喜平が、庵を建てたのが始まりです。連歌師の牡丹花肖柏をこの庵に住まわせました。しかしその後荒れ果て、1854年環渓密雲が托鉢中に荒れているのを見て大修理をし、1868年に本堂や庫裏を建て、曹洞宗の寺としました。
熊野街道沿いに設けられた九十九王子の1つです。熊野 街道は、大阪から和歌山県の熊野大社までの街道ですが、この「境王子」は7番目にあたります。正確な位置は不明ですが、北田出井町付近にあったと推定されています。王子とは、参詣途中で儀礼を行う場所で、般若心経などを読経していたようです。なお、この石碑は、熊野本宮大社のある本宮町から贈られたものです。
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