55 くろ姫山ひめやま古墳こふん

 前回の野田のだ城址じょうしからずっと北東の方向に歩きましょう。大阪狭山おおさかさやませんをさらに北上します。美原区みはらくに入り阪和和はんわわ自動じどう車道しゃどうを東に向かいます。国道309号線をこえると左に古墳が見えてきます。これが黒姫山古墳です。

黒姫山古墳:横から

 全長は114メートル、こう円部えんぶ直径ちょっけいが64メートル、高さは11.5メートルの前方後円墳ぜんぽうこうえんふんで、5世紀せいき(401~500年)の中ごろにこのあたりに力のあった豪族ごうぞく丹比たじひによってつくられたと考えられています。

 1947年から調べたところ、この古墳から24もの鉄製てつせい甲冑かっちゅう(よろい)をはじめ、11個のかぶと、13個のひさしのついた冑などたくさんの武具ぶぐが見つかりました。こんなにも多くの甲冑が一つの古墳から見つかったことは今までになく、わが国でもっとも多かったようで、昭和32年(1957)に、国の史跡しせき指定していされています。これらの甲冑は、近くにある「みはら歴史れきし博物館はくぶつかん」に展示てんじされていますので、いつでも見ることができます。

 また、古墳の上段には359本もの円筒えんとう埴輪はにわがならべられていました。中世ちゅうせいには「とりで」として利用されており、そのために土をもりあげてだんを高くしていました。

 この古墳の東側には、たてあな式の石室せきしつなどが実物大で復元ふくげんされていて、実物の大きさを知ることができます。古墳のまわりを歩くことができ、とちゅうには一部で円筒埴輪がならべられているようすも復元しており、できた当時の古墳のすがたを想像そうぞうしやすくしています。まわりは公園になっており、ゆったりとした気持ちで、昔の人たちに思いをはせながら、古墳をながめられるのです。

 なお、この北にあるひろくに神社には、この古墳の石棺せっかん(石で造ったひつぎ)のふたが残されています水路すいろの橋に使われていたようです。

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