大浜公園の北がわの道路をわたって旧堺港のつつみを西に向かって歩いていくと、その先に灯台があらわれます。これが旧堺灯台です。でもこの灯台は、昭和43(1968)年にその役目を終えています。
この灯台がつくられたのは、明治10(1877)年のことです。その前年に、南波止を新しくするともに、北波止をのばす工事が始まりました。北波止には遥明台がありましたが、堺の人々は、遥明台をほかにうつす工事のかわりに大波止の先に灯台を建てることにしました。そのために、寄付金を集めました。当時のお金で2492円というお金が集まったようです。現在では5千万円から1億円ぐらいになるでしょうか。
イギリス人の技師をやとい、堺の大工や石工もかかわるとともに、他の灯台の資料を調べたり神戸の和田岬灯台まで行って調べたりしました。ランプは外国のものをとりよせて機械とともに備え付けました。これが、同年7月16日のことです。その後、ペンキをぬったり、規則をきめたりして、9月15日に、正式に点灯したのです。
この灯台は六角形で高さは11.3メートル、緑色の光は24キロメートル先の海上までとどいたそうで、近くを通る船の安全に大いに役に立ったのです。
明治~昭和まで3代にわたってほぼ90年間、堺の海を灯し続けてきた灯台です。しかし、堺泉北臨海工業地の造成により、船が行き来する海が旧堺港から遠くはなれたところにいってしまったために、海上からはとても光が見づらくなり、役目を終えたのです。
現在、この灯台は国の史跡として指定されており、平成15年には調査修理がなされています。その結果、建てた当時は、灯台の一階には部屋はなく足だけが立っていたことが確かめられたようです。