38 旧堺きゅうさかい灯台とうだい

 大浜おおはま公園こうえんの北がわの道路どうろをわたって旧堺港きゅうさかいこうのつつみを西に向かって歩いていくと、その先に灯台があらわれます。これが旧堺灯台です。でもこの灯台は、昭和43(1968)年にその役目を終えています。

 この灯台がつくられたのは、明治10(1877)年のことです。その前年に、南波止みなみばとを新しくするともに、北波止きたばとをのばす工事こうじが始まりました。北波止にはよう明台みょうだいがありましたが、堺の人々は、よう明台みょうだいをほかにうつす工事のかわりに大波止おおばとの先に灯台を建てることにしました。そのために、寄付きふ金を集めました。当時のお金で2492円というお金が集まったようです。現在では5千万円から1おく円ぐらいになるでしょうか。

 イギリス人の技師ぎしをやとい、堺の大工や石工いしくもかかわるとともに、他の灯台の資料しりょう調しらべたり神戸の和田わだみさき灯台まで行って調べたりしました。ランプは外国のものをとりよせて機械きかいとともにそなえ付けました。これが、同年7月16日のことです。その後、ペンキをぬったり、規則きそくをきめたりして、9月15日に、正式に点灯したのです。

 この灯台はろっ角形かくけいで高さは11.3メートル、緑色みどりいろの光は24キロメートル先の海上までとどいたそうで、近くを通る船の安全に大いに役に立ったのです。

 明治~昭和まで3代にわたってほぼ90年間、堺の海をともし続けてきた灯台です。しかし、さかい泉北せんぼく臨海りんかい工業地こうぎょうち造成ぞうせいにより、船が行き来する海が旧堺港からとおくはなれたところにいってしまったために、海上からはとても光が見づらくなり、役目を終えたのです。

 現在、この灯台は国の史跡しせきとして指定していされており、平成15年には調査ちょうさ修理しゅうりがなされています。その結果けっか、建てた当時は、灯台の一かいには部屋へやはなく足だけが立っていたことがたしかめられたようです。

大浜灯台と潮干狩り

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