
昔の堺の町の山之口筋を南に歩いていくと、環濠だった土居川に出ます。そこにかかっている橋は「山之口橋」です。そこを渡って南に続いている道が、「熊野街道」です。

この街道は、大阪市内から和歌山県那智勝浦にある熊野大社まで続いています。主に熊野の三社へのおまいりに使われた道で、平安時代(794~1192年)の中ごろから上皇や貴族たちがよくおまいりされました。武士の時代になると武士たちやふつうの人々もおまいりするようになり、にぎわったようです。
江戸時代には浄瑠璃という三味線を使って話を語る芸能で、小栗判官を主人公にしたものがはやりました。足利氏にせめられた小栗判官が、にげる途中で照手姫と出会いますが、判官は毒殺されかけ病気で歩けなくなります。判官は地車に乗せられて照手姫とともに熊野までおまいりに行き、病気はなおるという話です。この小栗判官にちなんでこの街道を「小栗街道」ともよぶようになりました。

熊野までの道には、九十九王子とよばれるたくさんの神社がおかれていました。堺市内にも境王子と大鳥居王子がおかれていました。熊野詣でをするときに、この王子でお経で供養したり神楽をおこなったりして奉納したようです。写真の「境王子」の石碑は、現在の堺区北田出井町の王子ケ飢公園に建っていますが、熊野大社からおくられたものです。
このシリーズの第一回にのせた文久3年の「改正堺大絵図」でも、浅香山の南に「王子ケ飢」がえがかれています。熊野街道や九十九王子は、それだけ多くの人の心に残されていたのでしょう。その後も人形浄瑠璃などでも「小栗判官」の話は人形芝居として上演され、多くの人たちの心をつかみました。
なお、もう一つの「大鳥居王子」は、どこにあったのかは、まだわかっていません。
